2006年2月アーカイブ

fotologue

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とりあえず写真だけ先にアップしました。
http://fotologue.jp/horned/
fotologueデビューです。(よっちゃんThanks)

@チョメチョメ

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@チョメチョメという旅行記のカテゴリ作りました。

違和感と適応

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午前中、昨日までとのギャップに
風邪をひいたような吐き気とストレスに悩まされたけど、
夕方頃にはいつものような気持ちで仕事と向かいあっていた。
2週間ぐらいのブランクなら、半日で適用できるということかね。
すごいことだ。

映像にはホワイトバランスという概念がある。
人間の目は、夕方の黄色い光の下だろうが、夜のネオンの青い光の下であろうが、
白いものを白いものと勝手に認識できてしまう。
それが機械には出来ないので、まず白い紙をカメラに映して
これが「白」だよ、とカメラに教えてやらなければいけない。
逆に言えば、そういう光のホワイトバランスを人間の脳は
勝手にやってくれているからすごい。

旅行から帰ってきて半日で体が慣れてしまったというのは、
この目の働きのようにトルコバランスからジャパンバランスに
体が勝手に修正を行ったのだろうと思う。
例えば、トルコでおいしいと思って買ったお土産のお菓子が、
日本に帰ってご飯を何食か食べた後、そのお菓子を食べると
どうもイマイチおいしくないと思った。
むしろ他人が海外旅行でこんなお土産を買ってきたら
僕はあまり食べないだろうと。
十分冷静に、食べる人のことを考えお土産を選んだつもりだったのに
どこで判断は狂ってしまったのだろう。

トルコバランスからジャパンバランスへ
体が移り変わるときに感じた
ストレスや違和感こそ、この旅行から帰ってきて
忘れないうちに真っ先に書いておかないと
消え去ってしまうものだ。

前置きはこれくらいにして感じた違和感を。

・オフィスがおかしい
もっと楽しく仕事は出来るはずだ。
なにかこう、色味が少ない。
色味が少ないことで日本人が失っている何かがあるはずだ。
それはいったい何か?
表情が少ないのか。植物のようなものが足りないのか。
色味(のようなもの)がじょじょに少なくなることに
どんな経緯があったのか?昔から日本はそうなのか?
それは仕事の能率に関係があるのか?

・未来がない
オフィスに行って感じた「未来のなさ」はいったいなんなのか?
果たして未来というものはオフィス以外を含め、どこかにあるのか?
すでに終わっている世界にいるようなこの感覚はいったい何なのか?
ループ感が生み出す錯覚なのか?

・ブログおもろい
帰ってきて、他人のブログや日記を2週間分まとめ読みした。
とてもおもしろい。
なぜこんなにおもしろかったのか?
僕がいない、つまり「不在」であったことを埋める何かがあるのか?

・日本は便利だけど忙しい
日本で家に帰ってお風呂に入ろうとして、
お湯の温度が42度に設定されているボタンを
ピッと押すと、100パーセントその温度のお湯がでる。
旅行中はシャワーの温度を調整するのにかなり苦労して
やっと調整できたと思っても、また勝手に温度が変化しはじめて、うへっちべたい!
って感じでシャワーを向こうに向けなければいけなくなる。
この効率の差はすごい。
日本の方が効率はよいのだから、その分時間が余って、暇になるはずだ。
しかしなぜか日本にいるときの方が忙しい。
この矛盾はなぜか?

・僕の服装がおかしい
僕の服装がおかしい。こんな服を着ているはずじゃない。
こんな動きにくくて、つまらなそうな人間が着る服を。
どこで間違ったのか?なぜこんな服を着ているのか?
これは毎年、年が変わると常に思うこと。
逆に、なぜこんな動きやすいだけのアウトドア服に
熱中していたのか?と思うときもある。
そういう変化が2週間で起こっただけで、いつものことだ。
なぜ着る服を変えたいと思うのか?果たして僕が似合う服はどんなか?
「似合う」と思う心は何か?
他人が僕を見た時にも意見が別れるのか?それは何か?

・チャリが普通
前、大好きだったチャリでの移動が、どうも普通だ。
別におもしろくない。旅行でもっと早い移動をした後だからか?
人間は本能的に、早い速度で遠くまで移動することが好きなのか?
移住派か定住派の好みの問題か?
チャリを長い間放っておいたので、チャリさんが機嫌を損ねたのか?

・幸せってなんだっけ、なんだっけ?(さぶい話に突入)
それは信じるものの多さと強さ、ちゃうかね。正味な話。つまり希望の多さ。
アラーの神を心から信じてお祈りする人は
誇り高く、幸せそうで、しかも実際幸せな生活を送っていたと思う。
宗教の派閥で争いが起きるのは、信じる力が足りないからで
自分が信じる力さえ強ければ「どちらが正統か?」なんて
どうでもよいことじゃないかなぁ、と思うのだけど、のんきな意見?
また、旅で出会ったバックパッカーの兄ちゃんは、
結局その「信じる対象」自体を探しているのとちゃうかね?
つまり信じるものを決定してしまう前の段階の、ある意味、それもまた幸せな時間。
そういう意味では、宗教はやっぱ究極的やなぁ。絶対に答えが出ないし裏切らない。
そこまでいかなくても、日常にそういう宗教的なものって沢山潜んでいるので
それを拾い集めて生きていくっていうのが
芸術って呼ばれてるものなんやろなー。
宗教と芸術の違いとしては、どうしても芸術はパーソナルなところから
出発しなければいけないっていうのが、なんかネックやね。

帰還

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帰ってきました。
あー、やってられね。仕事なんかやってられね。
おもしろかったです。旅行。

旅行中、ケータイに旅の記録をメモってたので、
ちょっとずつアップしていきます。せっかくなので。


ジャイアンとスネ夫

離脱

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