シュールということ

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Via Passion For The Future

一ヶ月以上前にメモっていたPassion For The Futureの
「ユーザーイリュージョン ー 意識という幻想」という記事を読み返した。
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001933.html

うーん、この本おもしろそうやなぁと思って、いまごろになってアマゾンで注文してみる。

ちなみに、この記事にある
「メッセージの送り手は、巨大な木構造の中から、枝葉を捨ててあるパターンを選び、メッセージに託す。受け手はそのメッセージから、木構造の全体を想像して、パターンを自分の頭の中に再現しようとする。再現された木構造の大半は、意識にはのぼらないかもしれない、捨てられた情報である。著者はこの捨てられた情報を<外情報>と呼んだ。<外情報>量こそ、生成された情報の意味の価値を表す指標であるとする。」
ていうので、<外情報>が沢山捨てられたものって
吉本の芸人のネタをみて
「シュールやなぁ」
っていう感覚があるなぁと思った。

年々、吉本の芸人は「シュール度」が増している。
だから木構造の全体のパターンを自分の頭の中に再現できない観客はどんどんついていけなくなるはず。

ところが今一番人気があるといったら「笑い飯」でしょ。彼らはシュールさの筆頭のようなコンビだと思う。
結局、それは情報の「捨て方」が洗練されていて、観客は木構造の再現をうまく促されているような感じがする。
そしてこの情報の「捨て方」が洗練されているということが全ての表現のポイントかもしれない。

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このページは、hornedが2004年9月18日 00:49に書いたブログ記事です。

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