東京にはノートパソコンを持ってきた。
大阪でデスクトップを触っていたときと何か感覚が違う。
ノートパソコンのほうが没入感がある。
覗き込んで、じーっとやる感じ。
デスクトップはちょっと離れて
ながめるような感じ。
だからノートパソコンのほうが愛着がわく。
「距離が近いと愛着がわく」という当たり前のことを再認識。
距離と言っても、心理的な距離、つまり自分のリアリティとの距離である。
不快なものとの距離が近い場合は、より嫌悪感が強くなる。
自分が向かい合う対象が、よりリアルなものとしてあらわれてくるとき、感情が生まれる。
しかし日常化しすぎて飽きてくると、またそれは背景にとけ込んでいってしまって見えなくなる。自分に同一化しすぎて見えなくなる場合もあるだろう。
つまり、距離は近すぎず、遠すぎずなくらいが新鮮で愛着を持てるのだ。男女の距離感も、やはり、遠距離すぎず、ダラけすぎずが良いのかもしれない。(・・なんてこと言ってるので「ムラタ君は薄情だ」と批判されたりもする。ご、ごめんなさい。)
最近会社でブランディングとかをやるけど、
ブランドとは「消費されやすい価値」と「消費されにくい価値」を
バランスよく訴求することだ、と原研哉さんも言っていた。
Macのノートとタワー。
そんな微妙な距離感の違いにも
人々はしらずしらずのうちにブランド判断をし、
マーケットは影響を受けてそのバランスを変える。
市場を予測するというのは、だいぶ難しいことのように思えた。