中身すっからかんシンドローム

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年末から正月にかけて、まあいろいろ、わんやわんや
テレビをやっていて、それをポケーとみてたわけだけど、
M-1とオールザッツをみたら、なんというか、もうおなかいっぱいになった。
それで、それ以降お笑い番組は全く観る気になれなかった。

別にお笑いが嫌いなわけではなく、むしろお笑いの
テレビを観るのは昔から大好きだけど、最近どうもおかしい。
特にM-1でブラックマヨネーズが優勝したぐらいからおかしいなぁと思い始めた。
(ちなみに僕的には断然、笑い飯のほうがおもしろかったのだけど)

ブラックマヨネーズは確かに「笑いの量」は多かった。
そして4分の間で、その笑いの量をうまくコントロールして、
最後に大きな山場を作っていっていた。
でもこの笑いの量というのが、ハリウッド映画でいうなら
「興奮の量」と同質なものである気がする。
つまり、興奮したはいいけど、見終わったあと、
なんの映画やったけ?みたいなのと同様、
笑ったはいいけど、後味がなんかすっからかんなのである。
笑った後に何も残らない。
残ることを期待するほうがおかしいのかな?

量より質、というと、なんか安っぽいが、じゃあ「笑いの質」とは?と
考えると、それは落語だ、というわけで、そんなふうに言うと、
あたり前の展開でつまらないが、でも、実際そういう意味でもある。
何を言っているかわからなくなってきました。
いきなり結論づけると、
「笑いの量をコントロールするテクニックより
ナンセンスの甘い果実を食べたい!!」と僕は思う訳です。
はい。
奇妙な甘さがただよう、ナンセンスの空気に触れていたいだけなのです。
はい。
映画でいうなら、沢山興奮したり泣いたりしたいわけではなく
「あ~、映画って本当に素晴らしいですね」という映画に出会いたいだけなのです。
はい。

いや、確かにブラックマヨネーズもナンセンスなのですが、
世界観のあるナンセンスと、あまり世界観のないナンセンスの差というか・・。
そういう意味では笑い飯のほうが、良いビジョンを立ち上げていたと思いました。
別にブラックマヨネーズを批判しているわけではなく、
例えば彼らはとことん通俗にまみれて通俗を極めたときに
本領を発揮するようなタイプのような気がするので
それはそれで貴重だとは思うのですが。

話はそれましたが、似たような傾向は芸人のネタの問題にとどまらず、
テレビ番組全体にもあります。
最近のテレビ番組は、まあ、たいていおもしろいです。
昔は週に2~3個、すごく楽しみな番組がある程度だったけど
今はほとんど毎日2~3個のおもしろいバラエティが
ありそうな気がします(あまり観ていないから雰囲気しか分からないけど)。
アイドルも皆バラエティをやって、もう、そういう番組ばっかです。

そして確かにバラエティ番組のクオリティは確実に上昇しています。
ここで言うクオリティとは、視聴者を引きつけて
チャンネルを変えさせないノウハウのことです。
番組自体のおもしろさ(いかに視聴者の興味を
わしづかみにする企画か?)もそうだけど
どういう展開の時にCMを入れて盛り上げるか?
みたいな部分もどんどん洗練されています。
本当に一度テレビをつけたら、ずーっと観てしまいます。

で、そういうバラエティ番組ばかりをみていると、
自分の中身がスーッと抜けていくような、
脱力感がやってくるようになります。で、脱力、脱力、脱力
・・ときて、やがて鬱になります。
ストレスがたまっている時とかは、
バラエティを観ると発散できて良いのだけど
発散は、やり過ぎると、やがて脱力になってきます。
そしてまた、脱力、脱力、脱力・・ときて中身すっからかんです。
「年末年始の連続バラエティ番組による中身すっからかん症候群」
っていうのにかかった人は結構いるでしょう。

どうしてこういう傾向なのか?
一つは「競争」によるものでしょう。
言うまでもなく視聴率は他局より高いほうがいいですが
個々の番組レベルでも、M-1のような「競争」を導入した番組の流行で、
「沢山笑わせたほうが勝つ」みたいな方向に
笑いが向かっている気がします。
スポーツのように絶対的な「ルール」が存在する競争を除いては、
つまりジャッジを人間が行う競争に関しては、
すべてこの傾向(沢山=勝ち)に吸収されていきます。
そこから生まれる勝者は、誰から支持されたというよりは、
マクロな視点で空中から垂直に指さされたような人たちです。

いやしかし、もう世の中マクロばっか。
紅白歌合戦も、郵政民営化も、全部、そういう流れです。
そう、時代はマスコミュニケーションの時代なのです。
唐突ですが。古い言葉ですが。そうなのです。

なぜこのネットの時代に、どんどんマスな価値観が増大しているのか?
ネットというのはそういうものと対置して置かれるメディアではなかったのか?
と僕は思いました。
よく考えてみるとそれは僕の勘違いで、
実はネットというのは小さなマスメディアの集合体のようなもの
になっている気がします。
で、その多くが、結局テレビで言ってるようなことと同じようなことを言ってます。
リピーターです。マスメディア・チルドレン(イズ・マスメディア)です。
テレビやラジオといった既存のマスメディアが
産業側からトップダウンでその勢力を拡大していったのに対して、
ネットはボトムアップで勢力を広げていったような印象がちょっとあって、
それが既存のマスメディアと対置されるような勘違いを生んでいたのですが、
結局、広まりきれば、両方同じマスメディアに過ぎなかったのかもしれません。
そしてネットは、今や、テレビなど既存のマスメディアの
増幅器に成り下がってる可能性もあります。
そういうことなのです。
そういうことにさせてください。
ただ大げさなことを言ってみたいだけなのです。

さようなら。

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傾向を読んで株を売買する人と優良企業を見極めて株を所有する人。

ブラックマヨネーズの勝因は
ひょっとして
あのブツブツとハゲのおかげで素人っぽさ
幼稚っぽさ、初々しさがまったく消されていたから。
ネタが熟して見えた。っていう説はどう?
そもそもMー1に出てくるメンツって
フレッシュさがゆえの戦いやん。
個人的にはチュートリアル。好き。
ローカルっぽさと素人っぽさがひょっとして
敗因かも?
あのステージの豪華さと小池栄子の胸の豪華さは
一体なに?

そう、最近SPAとか読んでも株ばっかりや。

栄子の胸とステージは同じような意味やね。確かに。

M-1って年々質が落ちてきてるような気がする。
いや、もしかしたら笑いにシビアになってきただけなのかもしれないけど
第2回と第3回で見た笑い飯のネタは強烈でおもしろかったけど
第4回はよくなかったし、今回も今までを超えるものではなかったような気がする。

まぁ笑い飯が2回目3回目と驚異的におもしろかったのに優勝しなかったのと
4回目のアンタッチャブルのどこがおもしろかったのか解らなかったこととよりによって「松本人志」がいなかった会で「東京芸人」が優勝した事が妙に気にくわなかったけど
今回 ほぼ全国的には無名だったブラックマヨネーズが優勝したと言うことで出来レース感は無くなったかな。

とはいえ、ブラックマヨネーズは屁理屈ネタしかできないので「漫才が上手い」と言うよりは、ある意味同じネタを繰り返してベテランなだけな気がする

そうかー、ブラックマヨネーズは屁理屈ネタというのか。
なんか不自然なんやなー、あの屁理屈。
たぶん30分ぐらいゆっくり盛り上げていけばおもろいんやけど
展開が急すぎて、時間の制約で
物語を転がしている丸見えというか。
物語自体が自分で転がっているというより、
無理やり転がされてる感じ。

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このページは、hornedが2006年1月 5日 22:20に書いたブログ記事です。

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