川掃除

| コメント(5)

連休は実家に帰った。
川掃除しなきゃいけなかったので。

川掃除というには自治体のイベントみたいなもので
僕の実家の前に流れている川(通称:寺川)の掃除。
そこに生えて来た水草を取り除く作業だ。
川の沿岸にすむ家族(30戸ぐらい)から一人ずつ代表が出る。
うちの親父はいろんな意味で弱って来ているので
僕と弟が毎年その日になると交代で実家に帰る。

ひさびさに幼なじみとも会う。
その幼なじみは、高校生の時はバイクを盗んで追われているから
かくまってくれとか言って家に上がり込んで来たり、
僕の大学時代にたまに帰省するとアムウェイに勧誘してきたりした、そんな奴。
でも僕はそいつがなぜか好き。
小学生の時にずっと遊んでいたというのもあるけど
ただのヤンキーとはちょっと雰囲気が違う、
根は優しくて、自分の現状にいつも不満を持っていて、
ちょっと人生に飢えた匂いのする人間。

最近どうしてるかと話をすると、
彼はフリーで仕事(土方)をしているらしく
何人か下に雇ってるそうだ。
しかし下に給料を払うと自分には5万くらいしか残らず、
結局借金にまみれになって、毎日銀行をかけずり回っているらしい。
ストレスで腸閉塞になって、年に2回ぐらい入院するという。

厳しいなぁ。
リアルは厳しいと身がひきしまる思い。
それと同時に、彼にあまり悲壮感を感じなかったので
ちょっと勇気づけられたりもする。
そのたくましさというか、生き続けているということに。

「金がないと何にも出来んわ」と彼。
僕も今、ちょっと人生の転機にいる気がしているので金が必要だ。
「金がない」という言葉が日増しに重くなる。
結婚式とかで久しぶりにあった友人と話していても、
昔は絶対にしなかった「もうける、もうけない」というような
会話が頻繁に登場する。

ウィントン・チャーチルの
「若いころ左翼に傾倒しない者はマヌケだ。
 中年になって左翼に傾倒している者はバカだ。」
という言葉を少し思い出した。
人生の流れは間違いなく左から右に流れている。
それに逆流して右から左に流れると、友を失う。
なぜならみんな右に流れていくのに、自分は逆の左方向に進めば
そこに距離が出来るからだ。

それでも逆流することが必要な時があって、その時期が近づいている気がする。
その時いろいろ失うだろうけど、また新しいものがみつかるのも確かだ。
重要なのは、その川の摂理を理解し、失ったことを必然と認識し、
また新たな流れとうまくやっていく方法を前向きに考えることではないかと思う。

コメント(5)

失うものは、手に入れるものより大切なのかもしれないね。
失って初めて、その大切さが身にしみる。。。くー!
でも、失うものがない強さより、失いたくないと思う気持ちのほうが、きっと重い。
その気持ちが彼を生きさせてるのかも。。。

生物の連鎖って、リングのように同じ大きさでつながってるんだろうなぁ。恐竜なんて人間よりはるか長い時間生きていたのに、ある日突然・・・。この世の中って奥深い。

絶滅って結構ロマンチックやで

右左の言い方すると最近は完全に僕は右に流れているな。
自分なりに世の中の仕組みを捉えたようで、その中でうまいこと楽しく生きようとすると確実に右、僕の性格の場合は。

あ、あと最近2Kgやせた。これも右

うまく生きるというのは、ある意味そうですね

そういや大学のころ、掃除で戻ってたよね・・・。
なぜかとてもよく覚えてます。

コメントする

このブログ記事について

このページは、hornedが2006年7月18日 00:05に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「入力インタふぇ」です。

次のブログ記事は「影の功労者」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。