まいぺいす

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早実が優勝して、クールな投手が涙したという話
クールという言葉には何か
微妙な誤解があると昔から思っていた。

クール、じこちゅー、天然。
これらに共通する属性は「マイペース」である、
と定義してみる。

一方で、それぞれの違いは何か?

それは認識のプロセスにおいて「自分は関係ない」と
判断をくだすポイントが違っている。と思う。

例えば、認識のプロセスを
知覚 → 識別 → 判断
と分類するとして・・

天然は、ある出来事が起こったとき、
識別自体に失敗を含んでいる。識別が正常に終了していない。
つまり、てんで話が通じていないというわけだ。

一方、じこちゅーの場合は、識別自体は成功している。
しかしその識別を「判断する」過程で失敗が起こる。
普通の人なら自分の問題と受け止める事象でも
「自分は関係ない」という結論を下してしまうのだ。

実は、クールに関しても、じこちゅーと同様
識別自体は成功しているが判断の過程で失敗が起こっている。

それではじこちゅーとクールの違いは何だろうか?

僕が思うには、
じこちゅーの判断は「意識的」に行われる。
一方で、クールの判断は「無意識的」に行われる。
つまり、あるマイペースな行いが
他人に不愉快な思いをさせていたとしても
クールには悪意はないのだ。

以上を図にすると
知覚 → 識別(天然の領域) → 無意識的判断(クールの領域) → 意識的判断(じこちゅーの領域)
となる。
(強引な分類だが、話を戻すと今まで書いたことが無駄になるので先に進もう。)

だから、同じマイペースという属性であっても
その悪意の度合いを
じこちゅー > クール > 天然
と呼んで使い分ける必要があるのではないだろうか。


〜第2章〜

早速、普段の生活を思い返してみる。
うーん・・なんのことはない
皆、すでに3つの言葉を使い分けているようだ。

とすると、普段
「じこちゅー」と他人から罵られる僕は
その意図的な悪意を見透かされ、最大限の批判を受けているのだろうか。
だれも僕を「天然」とは呼んでくれない。

いやいやいや。
落ち込むのはまだ早い。
関西では親しみのわく人物に対して「アホ」と
最大限の賛辞をこめて呼ぶ文化がある。
黒人同士はニガーと呼び合う

僕はきっとみんなに親しみをもってもらってるに違いない。
(と無感情に書いてみる)

いやはや言葉というのは難しく
人間関係は複雑を極めていくのであります。

別に悲観的にはなってないのでご安心を。

コメント(2)

「天然」といわれることが多いわたし。
読みながら、言われたときのシーンを思い出して再び怒りがっ
「怒るってことは図星ってことだよ~笑」と言われても・・・
「天然」っていう言葉。なくなればいいのに。
「天然」ってどういう意味ですか?っと聞けば、よけいに天然と言われる始末。
「天然」っていうやつが「天然」なんですぅ!(つд⊂)エーン

天然はいいことや
大地の恵み

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このページは、hornedが2006年8月22日 00:28に書いたブログ記事です。

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